ZACブログ
カウンセリングやメンタルヘルスに関するお役立ち情報などを書いていきます。
在日コリアンとカウンセリングpart7
在日コリアンの家族理解①
2024年5月11日
ZACは2020年に日本で初となる在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関として発足しました。臨床心理士や公認心理師を初めとした心理職者、そして有志の方々のご協力のもと、小さいながらもこれまで活動を続けています。
今回も引き続き、在日コリアンとカウンセリングとの関係について書いていきたいと思います。
・カウンセリングの一大テーマ<家族>
心の悩みや葛藤を取り扱うカウンセリングでは、一般的に「家族」は一つの大きなテーマになることがあります。現代を生きる私たちは幼少期の大部分を家族との関係の中で過ごし、そこから様々なことを学びます。しかも無意識的に学ぶのです。
幼少期、人は生きることのほとんど全てを基本的に養育者に依存します。どのような家庭の状態であっても、子どもはその世界しか知らないことも少なくありません。そしてその中でサバイブし、自分の心身を守って生き残るために、子どもは時に外とは異なる家庭の「常識」や親の都合に適応していかざるを得ません。
また、子どもにとって養育者に注目されたり愛されたりすることは、生存のレベルでも重要なことです。そのため、どのようなことをすれば注目され、愛されるのかということを無意識的・意識的に探り、そこに適応していくようになります。
幼少期の体験の積み重ねや関係性のあり方のパターンは、その後の世界や他者に対する中核的な信念の土台となり、それが時に生きづらさの根っことなることがあります。そのため、カウンセリングでは過去および現在につながる家族との関係性が大きなテーマになることがあるのです。
・在日コリアンと家族
このような一般性に加え、在日コリアンに特徴的な背景があると臨床の中で感じることも多くあります。例えば、自分に対して理不尽な要求を繰り返してくる家族であったとしても、物理的・心理的距離を取ることが難しいことがあります。
家族と心理的距離を取ることは一般的にも難しいことですが、在日コリアンはそれに加えて、幾つもの要素がそれを難しくさせると考えます。
例えば、在日コリアンに対して決して友好的とは言えない日本社会の中で、在日コリアン個人にとって家族は一つの重要な民族的コミュニティとなることがあります。
よき理解者を見つけることは、誰にとっても簡単なことではありませんが、在日コリアンの場合にはそこにさらに日本人との関係構築の難しさ、というものが加わります。心を許し、通じ合っていると思っていた日本人の友人との間でも、時に葛藤が生じたり偏見が顕になることがあります。自分の「生きづらさ」の背景に在日コリアンであるということが関係していることが、伝わりにくいこともあります。そのような中で、同じ属性の家族は重要なサポート資源となる場合があるでしょう。
また家族や両親の痛みと距離を置きづらいという場合もあります。確かに困った親だけれど、親が経験してきた差別や困難を考えると、同じルーツを持つ自分がそれを突き放して考えることはとても難しいと思うことがあります。親は場合によっては家庭内暴力の加害者であるだけなく、差別の中を生きてきたサバイバーでもあるといった状況がしばしば生じるのです。
そのような中で、自分自身が今直面している社会との葛藤と、両親が受けてきた被差別経験の間に類似性や連続性があると感じると、心理的距離を取ることがなおさら難しくなることがあります。親をかばいたい、自分だけでも理解者になりたいと強く願うといったことが起こりますし、それ自体は決して責められることでも、おかしなことでもないと思います。
こうした様々な要因がからみあうことで、在日コリアンの家庭は親族関係の結びつきが強かったり、世代間の境界が曖昧になったりしやすいという指摘もあり(金沢,2011、朴,1993など)時として悩みや葛藤を引き起こすことがあります。
それでは、そのような在日コリアンの家族関係について、カウンセリングではどのように考え、取り扱っていけるのでしょうか。次回に続きます。
参考文献
金沢晃:在日コリアン青年の青年期危機と親子関係について−中学生を対象として. こころと文化, 10(2):159-166(2011).
朴和美:家族と女の自意識. ほるもん文化, 4:56-66(1993).
イラスト https://www.instagram.com/hyangbokshim?igsh=YW1tbmhvZHE4eXlm
在日コリアンとカウンセリングpart6
ZACで認知行動療法を取り入れた理由②
~「小さな物語」を読み解くために~
2024年3月26日
ZACは2020年に日本で初となる在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関として発足しました。臨床心理士や公認心理師を初めとした心理職者、そして有志の方々のご協力のもと、小さいながらもこれまで活動を続けています。今回も引き続き、在日コリアンとカウンセリングとの関係について書いていきたいと思います。
・「社会問題」だけでは取りこぼされてしまう「小さな物語」を読み解くために
在日コリアンをはじめとした社会的マイノリティは、流動する政治的状況や日常的な差別に消耗し、QOL(Quality of Life:生活の質) が下がってしまうことが珍しくないと言われています。一方、差別や排除といった社会的問題に対してカウンセリング等の自助努力に任せることには批判もあります。
もちろん、社会的な問題を解決していくことは重要ですが、個人の人生は待ったがききません。それに、「社会問題」が解決しなければ個々人の幸福もないという状態は、一人一人の人生には非常に酷なものです。そのため、私たちは状況を理解した上で「今ここで」できることを模索することにも意味があると考えています。
前回のブログでは、在日コリアンのカウンセリングにおいて、絡み合う「社会問題」と一人一人の「小さな物語」を読み解いていくことの重要性について書きました。そこでは、私たちは常に「社会問題」もしくは「小さな物語」の「どちらかのみで」物事の背景や原因を説明したくなる欲望に駆られがちであること、しかしその両者のつながりと具体的な困りごとの実態を仔細にみていくことが、カウンセリングにおいて重要になるとことを述べました。
これまで、在日コリアンの抱える苦悩や悩みについは、歴史や差別といった社会問題から語られることが多くありました。在日コリアンの置かれている境遇や社会的状況が明らかにされることには大きな意義があります。一方、個々人の人生が置き去りになってしまったり、「社会問題」として問題化し得ないテーマが見えづらくなったりするなど、「それだけ」では足りないことがあると感じるからこそ、私たちは在日コリアンに対する臨床心理学的なアプローチを試みています。
そして、大きな「社会問題」を視野に入れつつ、個人の「仔細な日常」を見ていく際に有用な手段として、「認知行動療法」があると考えています。認知行動療法では認知(状況に対する個々人の考えや解釈、抱くイメージなど)や実際の行動のプロセスを細かく見ていきます。そして日常の小さな変化の積み重ねを大切にします。何よりも、そういった個々人の物語、「細かな日常の心の動き」を可視化するツールを豊かに持っているのです。
一見両立することが難しいように感じられる「社会問題」と個人の「小さな物語」の両輪を見ていくこと、在日コリアンにとってとても生きやすいとは言えない「今ここで」できることを模索すること、社会問題だけでは捉えることのできない一人ひとりの悩みのパターンや時には精神症状に具体的に接近することー一見矛盾するように見えるテーマに対し、歴史的社会的背景の重視と認知行動療法による具体的接近という二つの柱を頼りにしながら、これらもZACでは臨床を続けていきます。
カウンセリングにご興味のある方はZACのホームページをご覧ください。
https://www.zac-center.org/
イラスト https://www.instagram.com/hyangbokshim?igsh=YW1tbmhvZHE4eXlm
在日コリアンとカウンセリング part5
絡み合う「社会問題」と「小さな物語」を読み解く
2024年2月11日
ZACは2020年に日本で初となる在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関として発足しました。臨床心理士や公認心理師を初めとした心理職者、そして有志の方々のご協力のもと、小さいながらもこれまで活動を続けています。
今回も在日コリアンとカウンセリングとの関係について書いていきたいと思います。
ZACでは研修活動や出版活動を通して、カウンセリングにおいて個人的な側面だけでなく、社会的・歴史的背景への理解を統合していくことの重要性を強調しています。一方、カウンセリングや心理療法は社会的な問題を個人の認知や行動の問題にすり替えてしまう機能もあるのではないか、とも批判されています。これについてZACではどのように考えているのでしょうか。
・絡み合う「社会問題」と「小さな物語」を読み解いていく
ZACではカウンセリングを行う際に、「社会的文脈の中の人間」という視点を重視しています。目の前に現れる個人としてのクライエントの背景を、様々な社会的文脈の交差の中で捉えようとするのです。例えばクライエントのルーツが朝鮮半島にあることが、対人関係における緊張と関係していることがあります。また、ジェンダーやセクシュアリティ、障がいの有無や経済的な問題が、個人の抱える問題に深い影響を及ぼしていることもあります。
一方、「社会問題」に回収できないクライエントの日常や人間関係、個人としての思いや体験といった「小さな物語」も存在します。両者はバラバラに存在するのではなく、複雑に絡み合い「困りごと」の背景を形成していることがあります。その絡み合いを読み解き、「社会問題」としての側面と、個人の「小さな物語」の側面の両者を尊重することが、特に在日コリアンをはじめとしたマイノリティに対するカウンセリングにおいては重要になるのではないでしょうか。
例えば、個人の考え方や行動のパターンに焦点を当てると、自分の力でコントロールできる領域が増す一方、本来であれば社会的な問題であるはずのことを、個人に負わせてしまう危険性があります。例えば「自己責任」の名の下に個人に負わせるべきでない社会的問題まで個人に原因を探す風潮があります。一方、社会問題にのみ着目してしまうと、クライエントが抱える個人的な愛着の問題や認知的特性等を全て大問題に被せる形で集約してしまい、身近な関係性や個人的な日常へのケアが行き届かなくなったり、行動の主体である個人の選択が見えなくなったりすることがあります。
私たちは、常に「社会問題」もしくは「小さな物語」の「どちらかのみで」物事の背景や原因を説明したくなる欲望に駆られがちです。しかしその両者のつながりと具体的な困りごとの実態を仔細にみていくことが、カウンセリングにおいて重要になるとZACでは考えています。
引き続き、ZACでは在日コリアンとカウンセリングの関係について考えていきたいと思います。
在日コリアンとカウンセリング part4
ZACで認知行動療法を取り入れた理由①
ZACは2020年に日本で初となる在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関として発足しました。臨床心理士や公認心理師を初めとした心理職者、そして有志の方々のご協力のもと、小さいながらもこれまで活動を続けています。
「在日コリアンとカウンセリングpart3」に引き続き、今回も在日コリアンとカウンセリングとの関係について書いていきたいと思います。
・ZACのカウンセリングの仕組み
ひとくちにカウンセリングや心理療法といっても、様々なスタイルや進め方があります。ZACではその中でも、必要に応じて「認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy:CBT)」を「ツール」として取り入れています。もちろん、カウンセリングにあたっては、来談してくださった方のこれまでの歩みや現在の状況などについてお聞きしたり、抱えている問題について具体的にみていく「アセスメント」も行います。その上で、ご希望や問題の性質に応じて、CBTを取り入れます。
この認知行動療法(CBT)とはどのような心理療法なのでしょうか。また、なぜ在日コリアンを対象としたZACでCBTを取り入れているのでしょうか。これから、数回に分けてZACとCBT、在日コリアンとCBTとの関係について書いていきたいと思います。今回は、「そもそも認知行動療法(CBT)って何?」ということを紹介したいと思います。
・認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy:CBT)とは
私たちは生きている中で、多くの問題や悩みにぶつかります。ストレスの高い職場や人間関係、侵入的な家族や希望が見えない社会…このような外的な状況だけでなく、その中で「どうして自分はいつもこうなんだろう?」「なぜ私はまたこんなことをしてしまったんだろう?」といった自分の考え方や行動のままならないパターンや悪循環にも悩まされます。CBTはその歴史の中で様々な技法や理論、対象に拡張され、多様化しています。しかし大枠で捉えれば、CBTとは環境や状況との相互作用の中で生じるストレスに対して、人の認知(考え)と行動に焦点を当て、変化を促すものだと言えます。
CBTの特徴のひとつに、見えづらく、捉えづらかった「心」や「悩み」というものをモデルにそって可視化し、「テーマ」として取り扱うことを可能にする「ツールとしての力」があると思います。私たちは悩んでいる時、状況がこんがらがり、糸口がないように感じることが多いのではないでしょうか。CBTには漠然とし混沌とした悩みを整理し、自分がどこでつまづいているのか、何に苦しんでいるのかを可視化する「装置」がたくさんあります。そのひとつであり、代表的なものが「CBTモデル」です。
・CBTモデルから問題を捉える
CBTでは私たちを「環境と相互作用する存在」だと考えます。さらに、私たちの中で「考え(認知)、感情、身体的反応、行動は相互作用しあっている」と考えるのです。これが図になったものがCBTモデル(イラスト参照)です。
よくあるCBTモデルの事例をあげると、例えば会社でたくさんの人前で行う重要な発表を任されたとします。そのような「状況や環境」は多くの人に影響を与えるでしょう。「自分にはできそうにない」「失敗したらどうしよう」と考え、緊張や不安を感じ、心臓がドキドキしたり冷や汗をかいたりするかもしれません。またこれまで緊張する状況に対してその人がどのような対処を行ってきたかによって、「とにかく準備をがんばろう」「今は考えずに後回しにしよう」、「その日会社を休んでしまおう」、等と考えたりします。その考えは次の行動を生みます。そして行動は状況に対して新たな影響を与えるのです(例えば準備が間に合わなくなってしまったり、会社を休んで仕事に大きな穴をあけてしまったり、といったことが起きます)。
CBTでは、悩みを「繰り返される悪循環のパターン」として捉え、それをCBTモデルにそって理解していきます。このように問題を可視化して自分の「人格」と切り離し、人と共有することによって、苦しいパターンの背景にある状況、自分自身の経験や歩み、苦痛な感情を少しずつ解きほぐし理解していくことにまず大きな意味があります。さらに、CBTは変化を促すための様々な技法やツールを豊富に持っています。考えの幅を広げたり、新しい行動を試してみること、「変化」ではなく今の自分の状態や感情をそのまま感じ受け入れるのに役立つ技法などです。さらに、トラウマや特定の精神症状、幼少期に形成された深い信念に働きかける技法なども幅広く開発されているところも、CBTの汎用性の高さと魅力だといえます。
・CBTに対する批判
一方、このようなCBTには批判もあります。他の心理療法の学派からの批判も当然ありますが、それだけでなくCBTは社会的な問題(例えば高い失業率やハラスメントの問題など)を個人的な悪循環の問題へと矮小化し、すり替えてしまう装置になっているのではないかという批判です。確かに、CBTでは環境や状況よりも個人の内面に働きかけ、それによって問題を改善しようとします。またCBTは「いいか悪いか」ではなく「効果があるのかないのか」「機能的なのかそうでないのか」といった視点で物事を見る視点が強く、それが結果的に「この社会に順応する生産的な人間」像を無批判に肯定する側面があるのです。
それでは、マイクロアグレッションや在日コリアンの置かれている社会的・歴史的側面を強調するZACが、なぜこのようなCBTを取り入れているのでしょうか。それと同時に、CBTにはどのような“落とし穴”があり、ZACではどのようなことに気をつけながらCBTを取り入れているのかといったことについても、次回書いていきたいと思います。
在日コリアンとカウンセリング part3
関東大震災における在日朝鮮人虐殺から100年。
歴史的トラウマの中で一人ひとりの日常を大切にする
1923年9月に起こった関東大震災における在日朝鮮人虐殺から100年。歴史を否認する動きもある中で、特にこの夏は様々な記念行事、報道や雑誌での特集、関連する映画の上映なども行われています。多くの在日コリアンにとっては、忘れることのできない歴史的事件ですが、改めて思いを馳せる人も多いのではないでしょうか。
ZACは在日コリアンに対する個人臨床(個人カウンセリング)を行なっている機関です。個人と歴史的トラウマはどのような関係を持つのでしょうか。私たちの日々の臨床や理解に即して書いていきたいと思います。
◇個人と歴史、個人と社会はつながっている
関東大震災における在日朝鮮人虐殺の歴史は、特に日本の一般民衆が多数加担したこともあり、日本社会に生きる在日コリアンに深刻な歴史的トラウマとして深い傷を与えています。しかも、日本政府による公式な謝罪や歴史の究明がない、むしろ歴史に対する否認と否定が生じている現在、「また同じようなことが起こるのではないか」と危惧し、不安や恐怖を感じるのは、飛躍ではなく当然の肌感覚と言えるでしょう。
歴史的トラウマは、私たちの日常にも深い影響を与えます。例えばあからさまなヘイトスピーチや歴史修正主義だけでなく、友人や身近な人の何気ない一言、「地震の時、中国人とか韓国人が泥棒にはいったらしいで」という噂話、日常の中で朝鮮半島や在日コリアンに対して向けられるさりげない蔑視や敵意――こういったものに対して、在日コリアン個々人が動揺したり、不安になったり、恐怖を感じたりする。それは在日コリアンの側の「強い被害者意識」や「認知の歪み」ではなく、歴史的背景とそれが個人にもたらす影響の観点から理解される必要があります。
また、例えば身近な友人に対してさえ一種の「警戒感」、「打ち解けられない感じ」、「安心できない感覚」を覚えるという声もあります。何世代にも渡って、家庭内暴力が形を変えながら存在し続けるなど、家族内でのトラウマの世代間伝達が生じることもあるでしょう。個人に内在していると感じていた怒りや疑念、家族が持つ暴力的な関係性などの背景に歴史的トラウマが関係していることを認識することは、問題の個人化、矮小化をさせないためにも重要です。逆に言えば、同じような状況に置かれれば多くの人がそうなる可能性がある、弱さや個人の資質の問題ではないことを理解する必要があります。
しかし、一方多くの在日コリアンは(当面であれ今後永続的にであれ)、日本社会が生活の場であり、ヘイトスピーチや歴史に対する否認もある社会の中で今を生きていく必要があります。これは時に、まさに“サバイブ”と呼ぶにふさわしい状況を個人に強いることがあります。
◇個人を大事にするために~臨床家が歴史や社会に向き合うことの必要性
このように、ZACの臨床においても、歴史や社会が個人の心身に影響を与えていることを日々実感させられます。しかし、私たちはこうも考えています。歴史的背景や社会的状況はもちろん重要である。しかし、それらが変わらない限り、個人が幸福になれないのだとしたらそれもまた大変問題である。在日コリアンは日本社会のマイノリティであり、どうしても朝鮮半島と日本の間で翻弄されてしまいます。その翻弄の中で何もなす術がなく個人が苦しむ「だけ」だとしたら、あまりにも重い荷ではないでしょうか。
一人一人が自分の主体性を取り戻すこと、自分の人生を生きることーそれは、「大変な状況の中で」「歴史的トラウマがある中で」、今まさに自分の気持ち、考えていること、意志を改めて感じ、大切にすることだと思います。大きな状況に翻弄されるほどに、個人の小さな願いが見えなくなってしまうことがあります。自分の気持ちや考えていること、そのひとつひとつに目を向け、耳を傾け、大切にすること、こうした作業を通して私たちは自分の人生を生きる主体となることができるのです。
その作業は実際かなり地道で日常的なものですし、すぐには難しかったり、自分で自分の気持ちが分からないと感じる方もいらっしゃるかもしれません。またそのような作業をたった一人で取り組むのは難しく、様々な人や環境に支えられることも必要です。特に身近な人の理解や協力は大きな支えになりうる一方、身近な関係の中で安心感を持てない方もいらっしゃるでしょう。だからこそこのような一人ひとりの大切な「日常」や身近な関係性に目を向け、ケアしていくことがとても大事になってきます。そのためには日常とつながった歴史的背景をしっかりと踏まえる事が必要です。むしろ医師やカウンセラーは「歴史的な背景を踏まえるからこそ個人の大切な日常にきちんと焦点を充てることができるのではないか」と私たちは考えます。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、「個人化すべきではない」(そのような状況になれば誰しもが同じような苦境に立たされる)ことをしっかりと認めるからこそ、逆に個人の話を始めることができるのです。
◇「考えたくない自分」も大事にしたい
改めて、関東大震災の朝鮮人虐殺から100年。否定的な言説も目にする中で、在日コリアン一人一人に大きな心理的負荷がかかり得る時期だと思います。一方で、私たちは日常を守り、過ごしていく必要もあります。在日コリアンコミュニティをはじめとして、歴史を記録し、コミュニティや集団での癒しをもたらす行事も行われています。否定する言説にばかり目が向いた時には、このような追悼行事にも目を向けてみることもいいかもしれません。
また、一時的にであれ避難する、逃げる、距離を置くのもよいと思います。関連行事や記事、言説などには出来るだけ距離を置き、好きなことに没頭したり、自然の中で過ごすなど自分が「心地いい」と感じることを模索したり色々試してみることも時には役に立つことがあります。在日コリアン個々人は、日々十分過ぎるほど闘っているのです。「考えたくない自分」を否定せず逃げることも時にはあってよい選択肢だと思います。
また、「今」を生きる在日コリアンにとっては、安心できる社会も重要ですが、それだけでなく安心できるコミュニティ、家族、友人関係の存在も日常を支えるとても大切なものです。このような時こそ、より一層あたたかいコミュニティを作っていくことの大切さも実感されます。
これからも、ZACでは個人と社会、個人と歴史の関係に思いを馳せながら臨床を続けていきたいと思っています。
イラストはhttps://instagram.com/hyangbokshim?igshid=YmMyMTA2M2Y=
在日コリアンとカウンセリング part2
ZACは2020年に日本で初となる在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関として発足しました。臨床心理士や精神保健福祉士を初めとした心理職者、そして有志の方々のご協力のもと、小さいながらもこれまで活動を続けています。
前回の「在日コリアンとカウンセリングpart1」に引き続き、今回も在日コリアンとカウンセリングとの関係について書いていきたいと思います。
☆小さなコミュニティにおける、守秘の問題
これはもちろん、どのカウンセリングルームにおいてもいえることですが、ZACで最も重要な問題のひとつが「守秘(カウンセリングで話されたことが勝手に外に漏れたりしないこと)」です。ZACで活動しているカウンセラーは、臨床心理士、公認心理師として、クライエント(カウンセリングを利用する来談者のこと)の話したことを原則として他に漏らさない、つまり秘密を守る義務(守秘義務、秘密保持義務)が課せられています。
しかしZACの場合はそれに加えて、特殊な事情があります。ZACに訪れる方の多くは、人生のどこかの時点で自分が朝鮮半島にルーツを持っていることを知り、そのことに自覚的な方々です。来談される方の全てではありませんが、在日コリアンの知り合いがいたり、在日コリアンコミュニティとの関わりを持っていた/持っている方もおられます。地域や活動にもよりますが、在日コリアンのコミュニティは小さくお互いが顔見知りであることも多くあります。
人がカウンセリングを利用するのはどのような時でしょうか?抱えている悩みに自分一人では対応できなくなった時、誰かに話してみたくなった時…色んな場合があると思いますが、その一つに、周囲の人に話しづらい、もしくは友人や知り合いには知られたくないことについて相談をしたい時、というものが挙げられます。警戒心からだけでなく、在日コリアンの友人やコミュニティを大切に思うほど、悩んでいることについて逆に/今は知られたくない、と思うこともあるかもしれません。
その一方、part1でも書いたように「在日コリアンについて理解がある人、知識がある人に話をしたい」と思うかもしれません。そのような場合、少し問題が難しくなります。相談する相手が在日コリアンコミュニティで活動していたり、共通の親しい友人が何人もいたりした場合、自分の話が他に伝わってしまうのではないか、自分の話をどう受け止められるだろうかと相談しにくくなるかもしれません。しかし、在日コリアンについて何も知らない日本人のカウンセラーに相談するのも難しい。在日コリアンとしての悩みも話したいけれど、在日コリアンには話せない…このような時、「完全な部外者でもなければ内部者でもない」存在が必要になります。
☆ZACでの工夫
ZACは在日コリアンのためのカウンセリング機関ですが、既存の在日コリアンの団体やコミュニティを母体に誕生したわけではなく、独自の活動として誕生、継続してきました。活動を継続するにあたって、他の様々な在日コリアンコミュニティと協力し合ったりもしますが、どこの組織にも属さず単独のカウンセリング機関としての運営を続けています。また、最近ではZACとしての活動を通して、在日コリアンの医療従事者の方々や、精神科医の方々とのつながりが増え、そのような関係にもエンパワーされながら、日々の臨床にのぞんでいます。このように、既存の在日コリアンコミュニティと協力し合いながらも独立性を大切にして活動しているのは、どのようなコミュニティに所属していても、またどのようなお悩みを抱えていらっしゃっても安心して利用していただくためです。
また、連続講座をはじめとするカウンセリング以外のコミュニティ活動には、様々な方にも関わっていただいていますが、カウンセリングに関する業務に関わる人数は最小限とし、有資格者のみが携わっています。
こうした工夫を行う事で、ZACを利用される方はZACでのご相談内容はもちろん、ZACを利用していることも含めて秘密が守られます。
おそらく、人口が少ない地域でカウンセリングルームを開業されている方にも、同じような事情があるのではないかと思われます。小さなコミュニティにおける守秘の問題、どのようにクライエントの安全を守っていくのかというテーマは、今後も追求し続けていきたいZACの大切な課題です。
イラストは
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在日コリアンとカウンセリング 【part1】
ZACは2020年に日本で初となる在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関として発足しました。臨床心理士や精神保健福祉士を初めとした心理職者、そして有志の方々のご協力のもと、小さいながらもこれまで活動を続けています。
なぜ在日コリアンとカウンセリングなのでしょうか?ひとくちに在日コリアンといっても様々な方がいらっしゃいます。そしてなぜカウンセリング・・・?
これから、在日コリアンとカウンセリングとの関係について何回かに分けてブログで書いていきたいと思います。
・そもそも「在日コリアン」とは?
日本の植民地支配の影響を受け朝鮮半島から日本に渡航した、オールドカマーの在日コリアンの方々も世代交代が進み、その存在は多様化し続けています。また日本にはオールドカマーではない在日コリアンの方々も多く在住しています。
開業以来、ZACには様々な方がいらっしゃいます。両親ともに朝鮮半島にルーツを持ち、ご自身のことを在日コリアン、在日朝鮮人、在日韓国人、在日韓国・朝鮮人だと強く感じている方から、両親の片方は日本人を初めとした朝鮮半島以外のルーツを持っていたり、そもそも祖父母にルーツがあると聞いているがはっきりしたことは分からない、という方もいらっしゃいます。自分のことを在日コリアンと呼んでもいいのかよく分からない。でも周りの「日本人」が抱かないような感情や悩みを持つことがある…揺れる思いを持つ方、そもそも「在日と呼ばれたくない」と思う方もいらっしゃいます。
・「自分について安全な空間で自由に考えられる」ことを目指して
ZACは朝鮮半島にルーツを持つ方を対象としたカウンセリング機関ですが、その方がご自身のアイデンティティについてどんなふうに思っているか、ご自分のことをどう呼ばれたいか、そして今後どのように生きていきたいかといったことに関しては、(当然のことですが)お一人お一人、その方のご希望や思いを最も大切にし、そこに丁寧に伴走することを目指しています。つまり、在日コリアンとして生きていきたい、日本人として生活していきたい、アイデンティティを模索したい、海外に移住したい…どのような思いを持つ方に対しても、そのひとつひとつを尊重し、その方が望んでいることを応援する、一人ひとりの人生に立脚することを大切にしています。
当たり前のことですが、「あるべき姿」を押し付けない、ということにとても注意しています。そのためには、「在日コリアンとしてこのようにあることが望ましい」といった理想や「べき」を押し付けないことがまずはとても大切です。またそれだけでなく、日本社会には日本人として生きることが最も無難で安全であるという強い同化圧力もあります。その圧力に対する疑問や、時に抗いたいという思いも、丁寧に尊重し、共に考えていく必要があります。
ZACでは、朝鮮半島にルーツを持つ方々が、アイデンティティを初めとして、自分のこと、家族のこと、将来のこと、時には精神的な症状や対人関係の悩み、そういったことを安全な空間で自由に考えられるような場を提供できることを目指しています。逆に言えば、このような問題を「自由に」「安全に」考えることが非常に難しい、という現実があります。
・時には、利己的になってもいい
これまで、在日コリアンは歴史的にも社会的にも様々な苦境を味わってきました。日常にある偏見や蔑視だけでなく、就職や結婚といったライフステージにおいて重要な場面で影響を及ぼす差別、朝鮮半島のその時々の情勢や日本政府との関係に翻弄され、影響を受けます。また家族が何世代にもわたって暴力やトラウマの世代間伝達に苦しむこともあります。もちろん、苦しむだけでなく在日コリアンはコミュニティを形成し、様々な権利を勝ち取り、固有の文化も育んできました。
しかし時には苦労をした家族のため、民族のため、日本社会を少しでもよくするために、自分自身の望みはおきざりにしなければいけないような状況もあったかもしれません。責任感や正義感があるほど、在日コリアンのために、社会正義のために、本来であれば社会が負うべき責任を背負わされてしまうという理不尽な現実があります。その過程で、自分は何を望んでいるのかが分からなくなったり、心身の不調に気付きにくくなってしまったりすることもあるかもしれません。またコミュニティの中で壁にぶつかることもあるかもしれません。
また、「在日コリアンでもある」自分の状況について、日本社会で言語化しようとしてもその背景を共有するだけで一苦労、という現状もあります。例えば、ZACを設立した背景のひとつに、在日コリアンの方々がカウンセリングを利用することが難しかった、という声があります。これまで、「家族のことや民族名を名乗るかどうかなど自分の悩みとルーツは絡み合っている。『在日コリアン』について何も知らないカウンセラーに話すのはとても苦労した。」「『自分がなぜ日本にいるのか』ということから説明をしないといけず自分のカウンセリングどころではなくなってしまった」といった声を聞いてきました。また在日コリアンコミュニティの中で抱えた葛藤については、「同じコミュニティにいる人には話せば反発をうけるのではないか、かといって援助者をはじめとした日本人に話せば偏見を助長してしまうのではないか」と考え話せなかったという声も聞いてきました。
在日コリアンのアイデンティティが多様であるように、在日コリアン個々人が抱える悩みも一筋縄ではいかない、一枚岩ではない問題がたくさんあります。さまざまな思いを言語化し、自分だけのための時間を持つことで、時には自分の思いにもっと正直になってもいい、必要なら自分のために生きてもいい、そんな「自分を助ける」(伊藤,2020)方法のひとつとしてもカウンセリングをご利用いただけたら幸いです。
次回も、在日コリアンとカウンセリングの関係について書いていけたらと思います。
※伊藤絵美著 『セルフケアの道具箱』
イラストはhttps://instagram.com/hyangbokshim?igshid=YmMyMTA2M2Y=
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カウンセリングとは?
カウンセリングとは?
「カウンセリングって、友人や家族に相談するのと何が違うの?」
「話を聞いてもらうことに、お金を払わないといけないの?」
「話すだけで解決するの?」
カウンセリングに対して、しばしばこのような疑問が投げかけられることがあります。
今回のブログでは、カウンセリングとは何か、どんなことができるのかについて少しお伝えできたらと思います。カウンセリングにも様々なものがありますので、あくまでZACでのカウンセリングとして読んでいただけると幸いです。
・(ZACの)カウンセリングとは
カウンセリングでは、来談してくださった方の抱えておられる“困りごと”や“悩みごと”に焦点を当て、多くの場合は回数を重ねながら集中的にお話をお聴きしていきます。
その過程では、ただ漫然とお聴きするのではなく、まず困りごとや悩みごとがどのような経緯や状況の中で起こっているのかを整理していく「アセスメント」を行います。アセスメントの過程では、カウンセラーからも質問をさせていただき、一緒に問題を整理していきます。その上で、カウンセリングの目的を決め、一緒に取り組んでいきます。困りごとに対しては、誰しも自分なりにこれまで色々な取り組みをされてきたことと思います。それを最大限活かし、リスペクトしつつ、「一人ではどうにも難しい」からこそカウンセリングをご希望されているかと思いますので、カウンセラーも一緒にできることを探っていきます。アセスメントの過程でも、問題への取り組みの過程でも、必要に応じて心理支援の専門的な知識を活用します。また時には、とにかく誰かに話したい、聴いてもらいたいという目的で来てくださる方もいます。そのような場合は、「問題に取り組む」という姿勢ではなく、その方のご希望に添えるようにお話をお聴きしていきます。
・カウンセリングの特徴:どんなことが出来るか
それでは、カウンセリングでどのようなことができるのかを少しご紹介させていただきます。
① “常識”の範囲を超えた深い話ができる
私たちの抱えている「悩み」の根っこは、思った以上に根や奥が深いことがあります。例えば幼少期の体験やその人がよって立つ社会的状況、現在の入り組んだ人間関係など、短い時間で簡単に表現することが難しく、そもそも「問題の理解」に十分な時間をかける必要があることがあります。しかし、日常の中でそのような時間をとることは難しい場合が多いでしょう。そのために、日常の中での相談は時に「常識的」なアドバイスにとどまってしまうことがあります。もちろん、それは時に「生活の知恵」であったり、聴いてもらえること自体がほっとしエンパワーされることも確かです。ちょっとしたこと、時には深い悩みを相談できる人間関係はとても大切です。
一方、例えば励ますつもりで相手が言った言葉が、当事者をさらにおいつめてしまうことがあったり、自分の話を丁寧聴いてもらえなかったりすることもあるでしょう。カウンセリングでは、まず来談してくださった方の視点に立ち、見ていること、感じていること、その方を苦しめていることを丁寧に聞いていきます。その際、常識は一旦括弧に置きます。「“普通は”こうあるべき」とか「“常識的”にはこうしなければいけないのに」ということは一度ちゃんと保留し、時にはそれ自体「本当だろうか?」と “常識”そのものも検討の対象としながら、悩み事について取り扱っていきます。
② 自分の話に時間をかけ、集中することができる
上記とも関連しますが、忙しい日常の中で自分のことを何回も心ゆくまで人に話して聞いてもらうということは実際にはとても難しいことです。相手に対して申し訳なさや遠慮が出てしまうのは、当然のことでしょう。しかし、悩みの根っこが深かったり状況が複雑な場合、簡単には話せない問題を抱えてしまうこともあります。カウンセリングでは、時間を重ねながら自分の話に集中することができます。
③専門的な見方や助言を得ることができる
カウンセラーは漫然と話を聞いている訳ではなく、クライエントの話に対して一定の仮説やモデル、時には介入の方法などを考えながらお聴きしています。ZACでは「困りごと」に対して、心理社会的視点を重視しながらお聴きしていきます。その方の生育歴、(時には)症状、また社会的状況による構造的な背景についても共有させていただいた上で、その方の「悩み」に対して具体的なアプローチを探ります。その時に、必要に応じてその方の考え方や行動のパターンに対して、認知行動療法の技法を活用することをご提案することがあります。ご自身の状態や悩みごとに対する心理社会的なアセスメントと具体的介入の方法を考えられるということも、カウンセリングの特殊性といえるかと思います。
(ZACのカウンセラーは臨床心理士や公認心理師などカウンセリングの専門資格をもっていますので安心してお話いただけます。)
ZACでは来てくださった方の意志やご希望を尊重することを大切にしています。その上でマッチすれば、悩みや問題に対して一緒に取り組むチームとなれればと思っています。一回のご利用のみでもウェルカムです。ご興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。
“感情のコントロール”が難しいワケ
2023年3月14日
身近な関係を大切にするために Part 5
前回は、身近な関係の中で自分の意志や主体を認めてもらえないこと、つまり侵入に関して、侵入を受けている人がそこから抜け出す難しさについて取り上げました。
しかし、特定の他者に対してつい侵入的になってしまう、自分でもやめなければと思うのに、身近な相手に感情をぶつけ、主体を侵害しようとしてしまう。そういう侵入側の抱える困難もあります。
もちろん、人に対する暴力や暴言は許されることではないでしょう。ですが実際には加害と被害は複雑に絡み合い、一人の人の中に同居している場合が多くあると考えます。
例えば、幼い頃は感情的な両親に振り回されその顔色をうかがっていたのに、自分が実際親になると子どもに対して非常に感情的に接してしまう。身近な他者にされて嫌だったことを、なぜかパートナーに対して繰り返してしまう。心を許し期待している相手に対しては感情のコントロールが効かなくなり、特にネガティブな感情を爆発させてしまうといったことは、家庭を始めとした閉じた空間では発生しがちです。
このような、怒りを始めとしたネガティブな感情の爆発に対して、「感情をコントロールしましょう」という言葉を聞くことがあります。しかし、実は感情をコントロールすることは非常に困難であることが知られています。例えば、「幸せな気持ちになってください」「心から悲しんでください」と突然言われても、意志さえあればそのような状態になれるかというと、決してそんなことはないでしょう。実際、感情はある種の「反応」であり、人為的に作り出すことが非常に難しいものです。
また、感情は様々な背景から発生してくるものです。その場に限ってみれば、「なぜそんなことで?」と理解が一見難しいような怒りや悲しみも、その人の過去やこれまでの歩みを見直すことで「なるほど、そうだったのか」と理解できることも多いのです。
このように、感情はとても個別的なものです。その人のこれまでの歩みや体験、社会的に置かれている状況、物事の捉え方や体質、時には精神的な症状等もが複雑に絡み合いながら生じるからです。
だからこそ、感情を適切に取り扱い、身近な人を大切にするためには多くの“下準備”がいると考えます。「〜しましょう」とお題目を言われても、その通りには出来ないものです。
ZACでは認知行動療法を基盤に、相談に来てくださった方が何に困っているのか、どのような場面で感情の「揺れ」が生じてしまうのか、それに対してどのようなアプローチができるかといったことについて、その方に合わせて具体的に探っていきます。
またその際に、その方の過去の体験が重要な意味を持っている場合には、これまでの歩みを丁寧に聞かせていただき、共有しながら共に理解していきます。
身近な関係であればあるほど、過去の傷つきやコントロールが難しい感情が出てきてしまい、大切にするのが難しいことがあります。ままならない感情の背景にある自分の思いや体験もしっかりと理解してあげながら、それでは具体的にどのようにしていけばいいのか、ご一緒に模索していけたらと思っています。
ZACでは月に1度無料カウンセリングも行なっています。ご興味のある方はチェックしてみてください。
侵入に抗う~距離を取ることが難しい理由
2023年1月28日(土)
前回までのブログでは、境界線の侵害、つまり侵入の問題を述べてきました。
相手の都合や気持ち、主体性を無視して一方的に自分の都合や要求を押し付ける「侵入」。これが問題だとは分かっても、そのような「侵入」に対峙することは、簡単ではありません。
今回は、侵入を受けている人がそこから抜け出す難しさについて書いてみたいと思います。
***
例えば相手に対話や説得を試みたり、「やめて」と言っても、聞いてもらえなかったり、むしろ攻撃されてしまう場合があります。
そのような場合には、距離を取る必要が出てくるのですが、それも難しいことが多いのです。
時々、ハラスメントや暴力に対して「どうしてすぐに逃げなかったの?」とか「なぜ抵抗しなかったの?」と言われることがあります。ですが実際には、様々な条件や環境を整えなければ「逃げられない」ことが多いのです。
・経済的・物理的困難
例えば夫の収入で暮らしている妻、親に養ってもらっている子ども、人事権をもつ上司のもとで働く社員など、経済面で逃げることが難しい場合があります。また住んでいる家が一緒であったり、接触を避けるのが困難な場合にも、攻撃的な相手から逃げることは容易ではありません。それだけでなく、そもそも人間関係がなかったり相談できる相手がいないなど、孤立している場合には逃げることが難しくなります。
・心理的困難:自分の気持ちが分からなくなる
ですか経済的・物理環境が整ったとしても、心理的要因から距離をとったり逃げたりすることが難しい場合があります。
その理由のひとつに、繰り返し自らの主体を侵入されてしまうと、自分の感覚や感情を信じることが難しくなってしまう、ということがあげられます。
「こんなことを嫌だと思う自分がおかしいのではないか?」
「相手はそんなにひどいことをしただろうか?」
「自分は小さなことを大きく言い過ぎているのでは?」
これらはすべて、自分の感情を信じないために、今まで自分に言い聞かせてきたことかもしれません。
嫌だと言っても相手が意に介さないのだから、嫌がっている「自分が」おかしいのではないか?そもそもそんなひどいことなど「起こっていなかった」のではないか?
ハラスメントや侵入が反復する日常を生き延びるためには、そのような状況に適応する、「生存のための適応」が必要になってきます。
侵入してくる相手に「チューニングを合わせてしまう」のです。
これが繰り返されることで、自分は何が嫌なのか、何がおかしいことなのかが分からなくなってしまったり、自信が持てなくなってしまうことがあります。
・心理的困難:罪悪感
他にも、「苦しいことがあっても子どものために離婚はすべきではない」とか「親孝行ができるようになって一人前」、「仕事なんだからイヤなことがあって当たり前」といった「常識」や「社会通念」が逃げ出すことを難しくする場合があります。
また侵入をしてくる相手からの「あなたがいなくなったら生きていけない」「自分や家族を幸せにしてね(幸せにする義務がある)」「愛しているから、あなたを思うからこその行動(強要)」といった言葉が繰り返されることにより、相手の幸せに責任を感じていたり、相手の期待を裏切ることへの強い罪悪感を感じたりすることもあります。そのような場合にも、距離を置くことは難しくなります。
以上のような心理的要因は長い時間をかけて培われた場合が多く、一朝一夕で整理がつくものではないでしょう。
身近な関係における「侵入」は人を非常に混乱させてしまうということが分かるかと思います。
自分がどうしたいのか、何に困っているのか。安全な環境や利害が伴わない場所で、時間をかけて考えていく、丁寧に話を聞いてもらう。
侵入から脱出する時には1人では難しいことが多いので、カウンセリングでなくとも共に歩んでくれる人がいることが望ましいでしょう。カウンセリングも選択肢のひとつとしてご活用いただけたらと思います。
イラスト https://www.instagram.com/hyangbokshim/
身近な人を大切にするために part4
2022年12月18日(日)
NOを言わせないもの~身近な関係における侵入とは何か~
前回のブログでは、NOと言うことの大切さ「NOを尊重されることで人は主体を形づくることができる」というテーマについて書きました。しかしNOが大事だとしてもそもそもNOと言うことの難しさがありますよね。
NOという事への不安があったり、
自分のNOが分からなくなっていたり、
NOを言っても聞いてもらえないとあきらめや無力感があったり。
こうしたNOを言えない要因を自分の内側に発見してNOを言う力をつけていく、ということも大事ですが、自分の外側にそもそもNOを言わせてもらえない「侵入」の問題があることがあります。
侵入の結果として自分のNOがわからなくなったり、不安やあきらめの状態に陥ってしまうことがあるのです。今日はこの身近な関係における「侵入」について考えてみましょう。
***
以前のブログ(part1)で「境界線」について書きました。「侵入」とはこの境界線を破る行為を指します。「侵入」は「相手の都合や気持ち、主体性(特に自己決定権)を無視して、一方的に自分の都合や要求を押し付けること」だといえます。
これが繰り返され、相手を自分の思い通りに動かそうとすることが、身近な関係性における「支配」の現れのひとつではないでしょうか。
人は一人一人自分の気持ちや意志を持っています。「嫌だ」とか「これがしたい」とか「悲しい」とか「幸せだ」とか…。
侵入が起こるときには、一方の側の要求や都合のために、他方の感情が踏み躙られることが起こります。その最も極端で、深刻なケースが、レイプではないでしょうか。
性的関係を、いつ、どこで、誰と持ちたいか。当然ですがこれは自分が決めることです。
ところが、それに対して相手の性における自己決定や気持ちを無視し、侵害するのがレイプだといえます。レイプがもたらすダメージは様々ですが、この大切な性における自己決定に対する侵入・侵害も、深刻なダメージを人に与えます。
***
でも身近な関係における侵入はもっとわかりにくい形を取ることもあります。
「愛情」「あなたのためを思って」「家族なんだから」ーー
そうした道徳や倫理、常識の衣をまとい、まるでそれに従わないことが「ひどいこと」「悪いこと」であるかのように思わせ、侵入された側に罪悪感を抱かせる形をとることもあります。
ここで重要なのは、一方が様々な圧力やストレスをかけることによって、他方が自分の大切なことを決めることを奪っている、という非対称的な現象です。
また侵入は常にわかりやすく起こるわけでもありません。
日常的に侵入していても、ある場面では「あなたが決めたらいいじゃない」「なぜ決められないの」と自己決定を促すような言動がとられることもあります。
しかし、日常的に侵入を受けている場合には、急に自己決定を促されても混乱してしまうことがあります。そして結果的に自己決定はできず、さらに支配が強まるという悪循環が形成されることもあるでしょう。
このような状態になると人は非常に混乱しますし、この侵入や支配のパターンから逃れることは簡単ではありません。
NOを言うのが大事ということがわかりながらも、NOと言うことが難しい時や難しい相手がいる場合、自分の内側に問題を探したり、NOを言えない自分を責めたりするのではなく、自分の置かれている状況や身近な人間関係のかかわりのパターンを整理することが役に立つことがあります。
NOを言えない、言わせてもらえない「侵入」などのメカニズムが働いていることに気づくことは、混乱した自分を助け、力を取り戻す一歩となると考えます。
カウンセリングでは、そんなお手伝いもできたらと思っています。
興味のある方、気になった方はお気軽にお問合せください。
イラスト https://www.instagram.com/hyangbokshim/
身近な人を大切にするために part3
2022.11.20
「主体はNOからはじまる」
この言葉は女性のためのカウンセリング機関「女性ライフサイクル研究所」の創設者であり、立命館大学でコミュニティ心理学の研究をしている村本邦子先生の言葉です。
「私」という感覚、「自分」という存在の境界線や輪郭は、どうやって作られていくのでしょうか?意外に思われるかもしれませんが、それは「NO」から始まります。今日は自分の主体性がどのように形成されるのかという点についてご紹介したいと思います。
母親のお腹の中にいる時、というのが最も子どもが親と一体になっている時だと思いますが、その後誕生してからも、子どもはしばらくの間完全に親や保護者の養育に身を任せます。
もちろんお腹の中にいる時でさえ、子どもはお腹を内側から押したり暴れたりすることによって、親に子どもとの「境界線」や「他者性」を感じさせます。
そして誕生後は次第に自らの欲求や意志を花開かせ、それを表現するようになります。
そして、親と徐々に(マイルドなものから激しいものまで)ぶつかるようになる、つまり、親に対して「NO!」を言うようになります。
これは子どもが自らの意志や境界線を主張しようと試行錯誤している状況、と捉えられます。
この時の「NO!」は洗練されたものではなく、原始的だったり刹那的な欲求であることが多いかもしれません。
他者に対して「これ以上入ってこないで」という「NO」だったり、自分と相手は違うんだという意味での「NO」だったり、「拒否」や「違和感」「イヤだという感覚」…こうした「NO」という気持ちが大切にされ、発展していくことによって、人は自らの境界線や主体の感覚、自我を育んでいくのだと思います。
***
つまり、世界と一体になっているときは別に自分の主体なんて感じなくていいわけです。
ところが世界や他者との間で衝突が生まれた時、違和感が生まれた時に初めて「自分の輪郭」が立ち現れてくるのです。
その輪郭がまだまだおぼろげで、危ういところに、子どもが周囲の暴力の被害を深く受けてしまう要因もあります。
つまり、侵入を強く受けやすいのです。物理的にも、精神的にも。
もし、この「NO」が、無視されたり、否定されたり、取るに足らないものとして扱われてしまったらどうなるでしょうか?1回だけではなく身近な関係の中で繰り返されていったとしたら?
そうすると、子どもは自らの輪郭がわからなくなります。
境界線を突破されてしまったり、無視されてしまうので、自分の「主体」がなんなのかが見えなくなってしまうのです。そして自分の輪郭、主体よりも重要なのは「相手の」欲求なのだという感覚が漠然と残り、蓄積されてしまうこともあります。
***
自分を大切にするという事は「自分にとって心地の良いことをする」だけではなく「自分の「NO」を大切にする」ということがとても大切です。そのためには自分の「NO」のサインに気づいたりなぜNOと感じたりするのか、それを知っていく必要があります。
様々な経験の積み重ねの中で自分の「NO」がわかりづらくなってしまっていたり、「NO」の伝え方が分からなかったり、逆に自分がいっぱいガマンしてきた分相手の「NO」が尊重できなくなっていたりすることはないでしょうか?
カウンセリングでは、一人一人の「YES」だけではなく「NO」も大切にします。安全な環境で自分のNOを知り、それを理解してあげることから始めてみませんか?
身近な人を大切にするために必要なことpart2
過去は現在、未来とつながっている。
距離のある関係であればうまく人付き合いができても、親密で近い距離になったとたん、感情的な問題がおきてしまう、そんな悩みは珍しくありません。
例えば、自分が親にされて嫌だったことを気づいたら自分の子どもにもしてしまう、とか
怒りっぽかった父と同じように恋人に怒りを爆発させてしまう、とか親にこうするべきだと言われる経験を重ねるうちに、相手に合わせるのが当たり前になってしまい自分が何をしたいのかわからない、といったことがあります。
そうした悩みをじっくりと紐解いていくと、幼少期の体験や親子関係が根っこにあることがしばしばあります。
幼少期に起きた未消化の出来事や、自分でも忘れていたり言語化できずにいたりする怒りや悲しみや恐怖が、その人の対人関係に影響を及ぼしているのです。
忘れているようでも身体や感情、自分の深い信念に刻み込まれ、似たような状況に遭遇した時に自分でもコントロールできない激しい反応を引き起こしてしまったり、自分が望まない行動を繰り返してしまったりといったことが起きます。
幼かった時代には受け止めることが難しく、忘れることや抑圧してなかったことのように処理したり、別の何かで紛らわせようとしたりすることで、自分の心をなんとか守ってきた、つまり生き延びてきた。
しかし押し込めた感情や叫びはなくなるわけではなく、自分の考え方や信念、対人関係に知らず知らず影響を与えてしまうのです。
こうした傷つき体験について、安全な環境の中で少しづつ解きほぐし、自分自身に統合していくこともカウンセリングの目的の一つになります。
それは傷ついた自分に出逢い直して労ったり、その時の自分の気持ちを大切に感じ直す作業でもあります。
またそうした体験の蓄積が今の自分にどんな影響を与えているのか眺め直し、「なぜ自分はこうなんだろう?」に対して、実感をともなって理解していくことにもつながります。自分が自分の理解者になってあげるということです。
そうした先にこうなりたい、本当だったらこうしたい、と思う自分自身の姿(行動や考え方)に変化していくことがあります。
このような作業を一人で行うことは困難ですが、カウンセリングという枠の中ではカウンセラーが伴走しながらいっしょに試行錯誤していきます。
興味のある方や思い当たる方は、お気軽にお問合せください。
イラスト:https://www.instagram.com/hyangbokshim/
身近な人を大切にするために必要なこと part1
お互いに安心して関わるために「境界線を尊重する」
身近な人間関係には、親密で近いからこそ抱えてしまう難しさがありますよね。今回は家族やパートナー、恋人、友人同士など身近な関係について考えます。
第一弾はお互いに安心して生活するために大切な「境界線」について考えていきます。
・境界線とは?
人間関係における「境界線」とは、例えば花壇の柵や家のまわりの塀、大切なものをしまっておく宝の箱、といった物に例えられることがあります。自分の大切にしている“こと”や“空間”や“物”に他人 が許可なく立ち入って荒らされたり傷つけられたりすることを防ぐために「ここから先には勝手に入らないでね」と示すものです。
境界線には大きく分けて3つの種類があります。
①物理的境界線
これは身体や持ち物を守る境界線です。
勝手に自分の身体を触られる、断りなく自分の持ち物を使われる、こんな時に物理的境界線が侵害されたと感じます。
②心理的境界線
これは、心や気持ちを守る境界線です。
自分が聞かれたくないことを聞かれる、話したくないことを話させられる、こんな時に心理的境界線を侵害されたと感じます。
③社会的境界線
これは法律やルール、マナーなどで守られる境界線です。
こうした境界線は、親しい関係だからこそ破ってしまいやすくなります。
DVなどの極端な例だけでなく、つい遠慮なく他人には聞かない事でも聞いてしまう、相手の気持ちを確認しないで接してしまうことがおこりやすくなります。しかし、どんなに親しい関係であっても、また(破った側からすると)些細な事と思える場合でも、境界線を破られてしまうと人は傷ついたり、ショックを受けたり、怒りを感じたりするものです。それが繰り返されたり、大きなショックをうけることがあると、安心していられる関係ではなくなってしまいます。
もし自分の境界線を無視されて破られた、と感じるのであれば、相手に伝えたり信頼できる人に相談したりすることが大切です。
では身近な関係を大切にするために、境界線の考えをどう活かしていけばよいでしょうか?
境界線の侵害は、無理強いや脅迫の形で現れることが多くあります。
逆に言えば、「お互いが本当の意味で同意をしている」ことがとても大切なのです。
本当の意味での同意とは、同意をしなくても「罰を与えられたり危害を加えられる心配がない状態で決めることができる」ということや、「お互いに相手を大切に思う気持ちがある」ということ、その行為をしたら「起こるかもしれないことをお互いが分かっている」こと等が基盤に成り立ちます。
「これについて聞いてもいい?」「これってあなたはいやじゃない?」
親しいからついわかったつもりになっていることでも、丁寧に互いの意思や気持ちを聞くこと、そしてお互いに自分の意思や気持ちを安心して表現できることが大切です。
自分が守りたい境界線はどこなのか?
相手が守りたい境界線を大切に出来ているだろうか?
身近な関係だからこそ、改めてこれらについて考えてみるのはいかがでしょうか。
問題をスモールステップで考える
私たちが悩んでいる時、たいてい問題を大きく、漠然としたものとして捉えてしまいがちです。
例えば「もっと自信を持ちたい」、「職場でうまくやりたい」といった悩みはよく聞かれるかと思います。そういった悩みについて考え始めると、いやな気持になってしまって気分が落ち込んだり、考えるのをやめてしまったりしますよね。そしてまた気づくと同じ悩みを抱えてしまっている…というようなことがあります。
同じことを10分以上頭の中でグルグルと考え続けてしまう場合、それ以上答えが見つからないことが多い、ということがわかっています。
そのような時は大きな問題を小分けにし、スモールステップにしていくことが役に立つことがあります。
この時に大切なのは、
①できるだけ具体的に言葉にして書き出し、細分化する。
②達成しやすいことから難しいことまで並べてみる。
③やりやすいこと、簡単に思えることから手を付けていく。小さな階段を上るように。
④時々振り返りをして自分のがんばりを認める。
いきなり全てを解決することはできなくても、 大きな問題を小分けにしていくことで、突破口を見つけることはできます。
対処できそうなこととできないことを見極め、対処できることから手を付けてみるだけでも気持ちや生活は変わります。
ただし、問題を小分けにしたり言葉にすること自体、初めての場合には難しいかもしれません。
カウンセリングでは、カウンセラーからも積極的に質問しながら、「大きな悩み」を「取り扱える小さなサイズ」にしていくお手伝いをします。
できることから手を付け、どんな風に自分や生活が変化していくか、いっしょに色々なことを試してみましょう。
在日コリアンのためのカウンセリグルームを開設した理由
私たちは2020年10月、京都市において在日コリアンカウンセリング&コミュニティセンター(ZAC)を開設しました。本センターは、臨床心理士や精神保健福祉士などメンタルヘルスに関わる専門職と地域でコミュニティ活動を行う方、在日コリアンと日本人がいっしょに企画し、開設しました。
ZACでは、設立前から10年近くにわたり問題意識をもった在日コリアンと日本人で研究会や自助グループ活動を行ってきました。その中で「安心して通える在日コリアンのためのメンタルサポートセンター」を求める切実な声があることに気づきました。
(詳しくは日本質的心理学会学会誌『質的心理学研究第18号』に掲載された「『してもの会』におけるRespecful Racial Dialogueー在日コリアンと日本人の『分断から動き出す交流』」をご覧ください)
カウンセリングでは、自分の家族のことや生い立ち、所属するコミュニティのことをカウンセラーに話すことがあります。また職場で不安に感じること、対人関係の悩みについてもテーマになることが多いでしょう。これまでカウンセリングを利用した在日コリアンの方からしばしば聞いてきたのが、
「家族のことや自分のアイデンティティについて相談しようとしたら、カウンセラーが在日コリアンの事を全く知らないために、在日コリアンについて一から説明しなくてはいけなくて…自分のカウンセリングどころじゃなくなってしまった」
「自分の悩みを話したところ、カウンセラーの持つ無意識の偏見や差別にあってしまい、カウンセリングをやめてしまった」
といった話でした。
もちろん、全ての悩みの原因がルーツに関わっているわけではないかもしれません。
在日コリアンであることはその人の一つの側面にすぎないこともあるでしょう。
しかし、私たちはあくまで個々人に立脚しながらも、在日コリアンであることも含めたその人の全体を理解し、取り扱っていくことができる場が必要なのではないかと考えました。
ルーツについて話したい方もそうでない方も、多様な在日コリアン一人一人の悩みに寄り添うカウンセリングをこれからも行っていきたいと思います。
「マイクロアグレッション」を
知っていますか?
在日コリアンが感じている「差別って言えるかわからないけど」「日常生活のいろんなところで出会うモヤモヤする」言動
「日本語上手ですね?」
「留学生ですか?」
「日本生まれだったらほぼ日本人じゃん!」
「ワールドカップどこ応援するの?」
「日本人とか外国人とか関係ないよ」
「ヘイトスピーチなんて一部のおかしな人のやってることだから気にしなくていいんじゃない?」
大丈夫な人もいるかもしれない、でもやっぱりなんか気になる言葉。
実はこれ、「マイクロアグレッション」という名前がついていて、アメリカを中心に研究が進められているんです。
アメリカのBLM(ブラックライブズマター)運動など人種差別問題への関心が世界的に高まっています。そんな中であからさまな差別やヘイトスピーチだけでない、学校や職場、友人関係の中など日常の何気ない場面で現れる「差別とまでは言えないけどなんかひっかかる」「もやもやする」言動にスポットが当てられるようになりました。日本でもNHKを中心にメディアやSNSでもにわかに注目が集まっています。
「マイクロアグレッション」とは民族・人種的少数者の方だけでなく女性、LGBTQの方々など社会的少数者に対して「軽く扱ったり」「見下したり」「経験を否定したり」する言動を指しています。言っている本人は悪気がないことが多く、善意から話していることすらあります。
一見ささいなことと見過ごしてしまいがちですが、実はこのマイクロアグレッションが繰り返されることで、うつや不眠、心臓疾患などの影響があるとされ、心身に大きなダメージが与えられることがわかってきています。
また医師やカウンセラー、医療・福祉職など対人援助に関わる専門職の人によって行われることもあります。つまり日常的なマイクロアグレッションによってうつや不眠となった方が病院やカウンセリングを受けに行った先でさらに被害を受けてしまうということも起こり得るのです。
こうした状況を改善するために、ZACは創設されました。
このマイクロアグレッションからどうやって自分を守っていくか、また遭遇した時にどうやって自分や大事な人を助けられるか、そしてどうやって傷ついた気持ちや心を癒し、回復していくか、在日コリアンカウンセリング&コミュニティセンターでは今後情報発信していきたいと思います。
その第1弾としてマイクロアグレッションについて日本で初めての翻訳本が出版されました。私たちZACも翻訳者として参加しています。ご興味のある方はぜひチェックしてみてください。
この文章は「つながる在日コリアンのコミュニティ Man&Me マンナミー」さんにご紹介いただいた文章を再編集したものです。
https://www.facebook.com/mannamii.jp/
2021年4月17日
なぜ感情はあるの?
不安で頭がいっぱいになってしまい冷静な判断ができなくなってしまう、
怒りがコントロールできずに大声をあげたり攻撃的なことを言ってしまう、
憂うつな気持ちにとらわれて一日中何もできない、
こういった事にお悩みの方は多いかと思います。
自分の感情に振り回されてほとほと疲れてしまう、怒りをコントロールしろと言われても難しい、そういったことがある方もいるかもしれません。
私たちにはなぜ感情があり、感情とどのように付き合っていけばいいのでしょうか?
今日は「なぜ感情があるのか」について考えていきたいと思います。
例えば山を登っていて、前からクマが現れた時、人は恐怖を感じます。
あるいは車が猛スピードで自分に向かって走ってきたら、やはり怖くなりますよね。
感情はこうした状況に対する反応であり、逆に言えば、私たちが今どのような状況に置かれているのか、というメッセージを伝えてくれています。
例えば恐怖は、危害の可能性を伝えています。そして私たちに「逃げろ!」もしくは「戦え!」という強いメッセージを伝えてくるでしょう。
怒りは、境界を破られている状況を伝えています。そのため「破ってくるものを自分の領域から押し出せ!」「攻撃しろ!」というメッセージが伝えられます。
不安は、将来の脅威を伝えています。そこには「備えろ!」注意深くなれ!」というメッセージが込められています。
もしこうした感情がなければ、適切に状況に対処できなくなることがあるでしょう。
また感情が不快で強いのは生存に関わる危機を知らせ、私たちに状況に対処しろと明確に伝えるためです。
目覚まし時計、アラームといっしょですね。
もし目覚まし時計がやさしく小さくなっていたのでは、起きられませんよね。
その意味で感情は人間が生きていく上で不可欠なものと言えます。
しかし、感情がやっかいなのは、感情は時として状況を誤って伝えることがあります。
また感情はヒントであり、可能性を知らせていますが、決して事実そのものではありません。
不安を感じているからと言って必ずしも危険が迫っているとは限りませんし、怒りを感じているからと言って攻撃することが最善の方法ではないことがあります。
カウンセリングの目的の一つは、感情について正しく知り、その取扱い方を模索することにあります。不安のあまりこれまで避けていたことやできないと思っていたことでも、新しい学習や経験を積むことで変化していくことができます。
カウンセリングを通して新しい感情との付き合い方を探っていきましょう。
参考文献『不安とうつの統一プロトコル:診断を越えた認知行動療法ワークブック』
2021年4月3日
悩みを悪循環のパターンと捉える
日常生活の中で、悩みって尽きないものですよね。
人間関係、仕事や学校、ままならない自分。。
人生は悩みと共にあると言っても過言ではありません。
では悩みとはいったい何なんでしょう?
様々な捉え方があるとは思いますが、悩みを「繰り返される悪循環のパターン」と捉えてみましょう。
逆に言えば、たまたま起こった一回の出来事であれば、それは「事件」や「事故」とは言えても、悩みとは言いませんよね。
多くの場合、悩みとは繰り返されることで、しかも一人では変えることが難しいことを指すかと思います。
例えば、
仕事でミスをして注意を受けた
その後で自分を責めてしまって落ち込んでしまった
自信がもてなくなってしまい、緊張して余計に仕事でミスをしてしまう。
友人やパートナーからの何気ない一言で自分がカッとして怒ってしまった。
どうして自分はすぐカッとしてしまうんだろう。
後悔するけどまた同じことをしてしまう。
やらないといけない事に手が付けられなくて締め切りに遅れてしまった。
どうしていつも自分はやる事が遅いんだろう。
そう思うと余計に手が付けられなくなって、ついスマホを見て時間をつぶしてしまう。
こうした悪循環が出来上がってしまって、しかもそこから自力で抜け出すことができない。
だからこそ「悩み」と呼べるものになってしまうのではないでしょうか。
カウンセリングではこのような悩みについてお話を伺いながら、どのような状況(他者、出来事)に対してどのような反応(感情、行動など)が起こっているのか、そのメカニズムやパターンを探っていきます。
悪循環が繰り返されている時、そこには悪循環を支える「何か」が存在します。
その人特有の考え方の特徴や持っている行動パターン、あるいはその人の置かれている環境…いろんな方面から悪循環を支える要因を見つけ出し、そこにアプローチしていくことで、悪循環から抜け出しより良い循環に変えていくことがカウンセリング目標の一つになります。
変えようとすると、一見どうしようもなく抜け出せないように思える悩みでも、メカニズムを「見る」ことで、突破口が生まれてきます。小さな変化でもそれを繰り返すことで、悪循環を解消することは不可能ではありません。
カウンセリングを通していっしょに考えていきましょう。
2021年3月21日
ZACでのカウンセリングの流れをご紹介します
今日はZACでのカウンセリングのスタートから終結までの流れをご紹介します。「カウンセリングってどう始まっていつ終わるの?」という方はぜひご覧ください。カウンセリングの進行中、今自分たちはどこにいてどこに向かって進んでいるのか、いつも確認しながら進めていきましょう。
①初回申込より、初回申込書を記入して送信してください。
②折り返しこちらからカウンセリング日時等について返信いたします。
③初回面接…1回 お悩みの概要をお聞きし、カウンセリング頻度などを話し合います。
1回のみのカウンセリングをご希望の場合は、その回で得たい内容をお聞きしできるだけお応えします。
④問題の把握と整理(アセスメント)…平均3~5回程度
問題の全体像を順を追ってお聞きします。ご自身の自己理解やこれまでの振り返り、問題の整理に役立つよう進めていきます。一人ではうまく整理できないお気持ちを言葉にするお手伝いをしたり、悪循環や問題が繰り返されるメカニズムをいっしょに明らかにしていきます。
⑤目標の共有…1回
一見解決できないと思える問題でも、問題を小分けにしてスモールステップで目標を立てることで問題に対処していくことができます。いっしょに無理のない目標を立てていきましょう。
⑥問題解決…お悩みの内容によって数回~
考え方のクセや傾向を知りその幅を広げる、取り扱いにくい感情を自分なりに取り扱えるようになる、新たな行動のレパートリーを広げるといった現在に焦点を当てたアプローチを行います。他にも過去の体験を整理するお手伝いなど、ご希望に応じて行っていきます。
⑦振り返りと終結…1~2回
⑧終結後のフォローアップ…必要に応じて
以上が、ZACでのカウンセリングの流れです。
ひとりひとりのニーズあった進め方をしていきますので、ご希望はお気軽にお伝え下さい。
2021年3月13日
カウンセリングってどんなことをするの?
「カウンセリングって何をするんですか?」
「話を聞いてもらえるだけなんじゃないですか?」
という疑問をしばしば耳にすることがあります。
相談したいことがあっても、具体的にカウンセリングってどんなことをするのかわかりづらいと、実際のところわざわざお金払って利用するのも…と思いますよね。
一口にカウンセリングと言っても実はいろんなやり方があるんです。
ここではざっくりふたつに分けて紹介します。
一つはクライエントさんが自由に話をするタイプのカウンセリング。このタイプでは自由に話す中で大事なことに気づいたり、気持ちが整理されたり、気分がすっきりすることがあるでしょう。カウンセラーも気づきを教えてくれたりします。多くの人がイメージするカウンセリングはこのようなタイプのものではないでしょうか。
もう一つは問題や困りごとに焦点を当てて、どうすればそれらを解消できるか、少しでもよい状態にできるか、という視点から行うカウンセリング。ここではカウンセラーとクライエントはチームを組んでお互いに知恵を出し合い、問題に向かっていっしょに作戦を立て、日常生活の中で実践できるような工夫を探ります。その過程で、カウンセラーは心理的なスキルをお伝えしたり、実際に練習してみたりします。そして、今までにはなかったような行動や考え方の幅・選択肢を増やすことを目指します。
せっかくお金を払うのだから、自分の希望や相性、目的にマッチするカウンセリングを見つけたいですよね。
どのようなカウンセリングが受けられるのか、直接問い合わせてみたりカウンセラーに率直に聞いてみるのもありでしょう。ZACでもそうした疑問やお問い合わせは大歓迎です。カウンセリングを迷っている段階でも、カウンセリングに対する不安や疑問は遠慮せずにお問い合わせください。
今後もZACで受けられるカウンセリングの中身や心理的スキルについて、ご紹介していきますね。
2021年3月6日
自分なりのストレス対処法を見つけてみませんか?
私たちは日々の生活の中で、様々なストレスに直面します。
ストレス状況を根本的に解決することは大切ですが、時間も気力もかかることが多いですよね。
そんな時に役に立つのが「コーピング」の考え方です。
コーピングとは、「意図的な対処」のことです。
つまり何か困ったことや問題が起こった時に備えて事前に準備し、その問題や課題に「こう考えてみようかな」「こう動いてみようかな」と意識的に対処すること(『認知行動療法実践ワークショップⅠ』伊藤絵美 著 より)なんですね。
コーピングには「認知的コーピング」と「行動的コーピング」の2種類があります。
認知的コーピングとは、頭の中のイメージや考えを意図的に工夫したり切り替えたりすることです。
行動的コーピングとは、その場で実際にどのような行動をとるか、という行動の工夫や切り替えのことです。
問題状況に備えてその時自分に何と言ってあげると良いか(認知的コーピング)、何をすると良いか(行動的コーピング)あらかじめ考えて おくことが役に立つことがあります。
例えば「人にどう思われているかいつも気になってしまう」という方の場合、いくつかのコーピングを準備しておくことができるかもしれません。
不安がわいてきたら「自分が人に受け入れてもらえてるか不安なんだよね、心配になるよね」と不安を自分で認めてあげることや「もう少し様子を見てみよう」とか「そんなに自分を憎む人もいないだろう」「無理せず自分らしくいればそれでいいんだ」といった言葉を自分にかけてあげることで少し落ち着くことができるかもしれません(認知的コーピング)。
また行動的コーピングとしては「体の状態を変えること」が効果的と言われています。不安がわいてきたら「その場で大きく伸びをして深呼吸する」「ストレッチをする」「熱いシャワーを浴びる」などが良いかもしれません。「ひたすら何かに取り組む」のも効果的と言われています。単純な動作を繰り返してできるような、ひたすら床をみがく、編み物をする、といったことで気持ちが少し落ち着くかもしれません。
ここに書いているようなことをすでに実践されている方も多いのではないでしょうか。これまで何となくやっていたことでもコーピングとして意識的に行うことでストレスを緩和させる効果が高まります。
大切なことは、「うまくいくかどうか」とか「いいかわるいか」よりも、いろいろなコーピングを幅広く持っていて状況に合わせてそれらを意識的に柔軟に使えることです。カウンセリングを通してあなたにぴったりのコーピング(自分の助け方)を見つけていきましょう。
参考文献 認知行動療法実践ワークショップⅠ 伊藤絵美 著